昭和40年12月17日 夜の御理解



 今朝の午前中の十一時に熊本をたたれて、そしてこちらに何時頃だったでしょうか、五時位だったでしょうか、自転車で何時も参ってくる山田さん、それこそ猛吹雪の中を椛目椛目というて、そして此処にはほんの三十分もおられましたですね。そしてまたその中を帰りは十二時位になるでしょう今晩の、そこまで送って行きましたら、もう腰上げてから、競輪選手の様にしてから踏んでから帰られる時。
 姿を見てから有り難いことだと思うんですね。確かにあの椛目にはね、そうしなければおられないものがあるんですね。お互いここは頂かなにゃいかんと思うですね。椛目にこうやって毎日、日々しげしげとお参りがでけますと、あたり前の様に思うとりますが、何かがある、その何かがあるとはどういう様なことだろうか。今日も様々な問題をもった、新しい信者の方達がお参りされたんですけれども。
 又、同時に色んな、秋永先生ここで商売関係の方達が、教務所の方におい出られまして、ここの色んな重大問題で参られましたんですけれども、本当に話を聞けば聞くほどに、内容は大変込みいっとりますから、ちっとやそっとでは話して分かりませんけれども、その辺の神様の大ーきな働きの、どうにもでけん様な働きがですねぇ、椛目の私一人の信心が、これは、教務所だけではなくて、これはご本部迄動かそうとしておるという、話を聞かせて頂いたんですけどもね。
 それで、今日あの大川の家具屋さんが見積りに見えて、委員長が合わなければならなかったのが、丁度、委員長が帰ってくる、見える十分位前ここえ見えとられます。それで、そしたら皆んな帰って見えましたから、その話がかたずき、今日は委員長言ってますんです。今日一日で重大な問題を二つここで解決のおかげ頂いたちいうていっておりますが、その辺のタイミングの良さというでしょうかね、もう本当にそういう様な働きがここにあってるんですよ。
 確かにここには、ですからそれを私はここには何かがある、何ものかがあるねえ、でなかったら伊達や推挙で、わざわざ遠隔地から尋ね求めして、又熊本からまでも猛吹雪をついて、その参ってこられるという何かがある。それを参ってくるたんびに何か分らんけれども、それを頂いて帰られる楽しみだけで、あぁしてお参りして見えるんですよね。ですから、私共が灯台元暮らしというですけれども。
 ここは大変有り難いと思うことは、椛目の方達が何かというたら、子供さんが出けたとか、結婚式があったとか、日頃信心がない方でも、やっぱお参りしてくるんですね。やはり、何かがあるからだと思うですね。近所の他所から参ってがありよるばってん、足元もんはまいらんちいうことでもない。この頃、夜のご祈念なんか殆ど、近所の方ばっかりでございますけれども、という様にその何かがあるという、それをですね。
 私共が、頂いて帰らしてもらう、それを何時の間にか信心の血に肉にしていく、おかげを頂かねばならんと思うですね。神様に私そのことをお礼申さして頂いたら、ほんとになんていうんでしょう、表現が出けませんけれどもそういう様な例えば、ここにもとがでけたというのもですね、やはり大坪総一郎と神様の合作と仰る。そういう意味のことを仰る、目には見えぬけれども何かを、私と神様と作ってるここに。
 それをそれを皆が頂きに来る。ね ですから漠然としておる者は漠然としておる。もう、どういう様な人でも私は分かっていく、此処にお引き寄せ頂けば何かが与えられる。問題は本気であり辛抱である。来てみてただそれを無関心にしておったら、何があるがいっちょん分らんそういう様なことでしょうね。私は此処二、三日有り難いと思うことは、総代さんの高芝さんが、此処二、三日遅れられるんですね。
 それでご理解中ばで何時も見えるんです。最近です非常にご理解を頂かれる態度が素晴らしいんですね。もう十五年この方始めてです。高芝さんが本気でご理解を頂いとられるという風が見えるのが、そして必ずあの説教台の前にズーットこう座ってから、朝のご祈念をこうやってご理解を頂いて帰られるんですね。例えばいうなら高芝さんは15年ぶりに椛目に何かがあるというのを、感ずかれたという感じがするんです。
 それは頂かなければ馬鹿らしいというものが出けて来たんです。ね 私皆さんそんところをですね、私は頂かなければ、椛目にこうして縁を頂いとる、また椛目の近くにこうしておかげを頂いておる値打ちがひとつもないと思うんですよね。どうぞ何か私もそれこそ言葉で表現出来ません。私と神様と何かをここに作る合作の何かがある、それを頂くのが椛目通いの目的であり信心でなからなければならんと思うですね。
   どうぞ。